混xxxチキ ショートショート劇場 Vol, 4
□□□ 子供好きなご婦人 □□□
アリョーシカは高台のお屋敷に足を踏み入れるのをためらっていた。
このご時世だというのに目の前のお屋敷の立派さといったらない。
町からはるばる森を抜けて細い山道を歩き、3時間かけてようやくここにたどり着いたのだが、遠目に見えていたお屋敷が間近に迫ってくるにつれ、その荘厳さには目を見張るものがあった。
ツタの茂った塀が、延々と続き、その先にようやく見えた立派な門構えは、馬車が2台すれ違えるほどの大きさがあり、その先には広々とした庭園が季節の花を様々に咲かせている。
車回しのそばには今は出ていないが、噴水の出そうな立派な囲いの池まである。
背中のカゴにはお屋敷の未亡人と話をする為の口実に、家財道具や洋服などを入れ背負ってきたものだから、腰が痛くてしょうがない。
家財道具といっても仕事も無くし住む家さえいつ追い出されるか知れないアリョーシカの持ち物など、ガラクタのようなものばかりだ。
アリョーシカはカゴを門の脇に置くと、痛む背中を伸ばした。
どうせ自分の貧困さをご婦人に見られるのだから、重い鉄製のミルク缶など持ってくるんじゃなかったと後悔し、道中何度も馬車さえあれば、と思わずにはいられなかった。
先代から受け継がれた古い豪邸なのだろう、ところどころ傷んでいる所は目につくが、これだけのお屋敷に住んでいるのだから、街で聞いた風の噂も信憑性があるかもしれない。
一週間前、アリョーシカが職業紹介所で並んでいるところ、前方から話し声が聞こえてきた。
このお屋敷に住む未亡人は大変子供好きだという噂である。
しかも、施設に預けられた身寄りのない子供をすすんで引き取り、何人も大切に育てているという話だ。
不況が続き、ついに働いていた工場も閉鎖してしまった。
その日暮しがやっとの安月給で、貯金など出来るはずもなく、アリョーシカは一月も経たずに生活に困窮してしまった。
仕事を探しに職安へ行けば、同じように職探しをしている大勢の人間が、建物の外にまで列を作っている。
若くて力もある男衆なら、まだ仕事もあろう。
しかし、夫の暴力から逃げる為に離婚し、女手一つで子供を養っている、三十路も半ばを過ぎたアリョーシカに回ってくる仕事は無かった。
「ママ、今日もおイモ一個なの?」と、飢えた瞳で訴えかける幼い息子を見るたびに、心が激しく締め付けられる。
せめてこの子にもう少し食べさせてあげたいと、靴磨きや薪売りもしてみたが、世の中全体が就職難で同じことをしている者が多すぎてたいしたお金にもならなかった。
とうとう二日前に食料が底をついた。
おなかが減って夜も眠れず泣く息子をみて、アリョーシカは高台のお屋敷の話をふと思い出した。
この子だけでも預かってはくれないだろうか。
このご時世では見も知らぬ子供を他人が預かってくれるはずもない。
当然、夜中に子供を捨てに行くことになるのだ。
子供を捨てるなど、考えたこともなかったが、育ち盛りの息子が飢えるのを見るのは忍びなかった。
せめて仕事が見つかり社会が安定して、迎えにゆくことが出来る日が来るまでの間、飢える心配のないところで育ててもらおう、と一晩悩んだあげくに、館の主に一目あってみようとやってきたのだ。
アリョーシカは立派な門のある中庭を除きながら、風を避けられるような良い場所はないかと目で探した。
もし捨てるとなれば、夜中に息子をこの庭に置き去りにしなければならない。
温かい季節とはいえ夜の冷え込みは幼い子供には厳しい。
目をこらすと、車寄せの池に近いところに、掃除道具をしまうようなオンボロの小屋を見つけた。
アリョーシカは心を決めて、広い庭園に足を踏み入れた。
(もしも一目見て、悪い印象を受けたのなら思いとどまろう。)
アリョーシカは計画通り物売りを装い、玄関の呼び鈴を引っ張った。
カランコロンとよく透き通った鐘の音が、空に吸い込まれてゆく。
しばらく待ったが、玄関は開かない。
二度目の鐘の音も誰の耳にも届かなかったようだ。
もし三度目の鐘で誰も出てこなかったら思いなおそう。
アリョーシカが、三度めの呼び鈴に手を伸ばした時、「今行くわ、どなたですの?」と、ドアの向こう側から遠い返事があった。
「今ちょうど使用人がみんな出はらってしまっていてね」と、玄関を開けアリョーシカの前に現れたのは、血色もよく、肉付きのよい体で五十を過ぎていると思われるのに、老いのあまり感じられない身なりの良いご婦人だった。
「あ、あのすみません、物売りをして歩いている者ですが、何か買っていただけませんか?」
アリョーシカは自分のみすぼらしい格好に気恥ずかしさを覚えながら、背中のカゴを降ろした。
アリョーシカの身なりを見ただけで、ドアを閉めようとしたご婦人だったが、アリョーシカは必死で声をかけ呼び止めた。
「仕事も失くして、子供に食べさせるものも無くなってしまいました。無理を承知の上ですが、家財道具を売って食べ物を買いたいのです。どうか何かひとつでいいから買って頂けないですか。」
カゴの中から取り出すガラクタをみてうんざりしながら、ご婦人はアリョーシカに問いかけた。
「不憫ねぇ。お子さんはいくつなの」
「3歳になる息子がおります。」
「あら、一番いい時期なのに・・・食べ盛りなのにかわいそうねぇ。」
「町の噂で、ご婦人はたいそう子供好きと聞いたものですから、手を差し伸べていただけないかと思いまして」
ご婦人は哀れみの目を向けると、「ちょっと待ってなさい」と声をかけ、家の中へ引っ込んでいった。
ご婦人が開けて行ったドアから、家の中を覗き込むと、高い天井にシャンデリアが下がっている。
しかし、釣り下がったクリスタルにはホコリが積もり、クモの巣も張っている。
ここ数年あまり手入れがされていない様子だ。
絨毯はもう長い年月靴に踏まれ続けて、柔らかい毛は磨り減って、色あせている。
静まり返った屋敷は、外から見た豪華さとはまるで異なり、ひどく薄ら寒い印象を受けた。
しばらくするとご婦人は台所からパンを一斤袋に入れて持ってきて、アリョーシカに手渡した。
「あなた達はかわいそうと思うけれども、こんな時代ですから、このくらいしかしてあげることはできません。」
ご婦人は物乞いのようにも見えるアリョーシカをじっと見据えて言った。
「確かに今までに施設の子供を何人も引き取って社会で自立できるように育ててきました。何人もかわいそうな子供達がうちの前に置き去りにされたりもしたわ。」
ご婦人は気の毒そうに目を曇らせた。
「でもね、いくら私でも何人もの子供を養って行くなんて、この時代ではとてもできないのよ」
子供を置き去りにしようとしていることを見透かされているようで、アリョーシカはどきりとして目を伏せた。
「あの、ご婦人は子供達のどんなところが好きなのでしょうか?」
話題を変えようとアリョーシカがご婦人を見上げた。
ご婦人がほんの一瞬何かを考え付いたように、目が怪しい輝きをした。
「そうねぇ。3歳くらいの子は一番いいわねぇ。元気があって活き活きとしていて。見ているだけでも、なんだかうれしくなってしまうわね」
「ちょうど今、私の息子は3歳なのです。」
アリョーシカは思い切って、ご婦人に子供を捨てようとしていることを打ち明けようとかと迷った。
「あなたのお子さんはきっとやせ細って、元気もなくしてしまっているのでしょうね」
「はい、そうなんです。昨日も一切食べ物がなくて夜も眠れずに泣き通しでした。」
「かわいそうなこと・・・もし私の所で養うとしたら、豪華ではなくても毎日の食事に困ることはないでしょうに。」
思ってもみないご婦人の言葉に、アリョーシカは耳を疑った。
「え?・・・それは預かって頂けるというお話ですか?」
もしそうなれば、子供を捨てるという残酷な仕打ちをせずに、時期が来れば堂々と迎えに来れるではないか。
アリョーシカの瞳に生気が戻った。
「そうねぇ、もし気に入れば・・・という話だけれども。」
ご婦人は少し言葉を切ってアリョーシカの顔色を窺った。
その話をしたいがためにここまでやってきたのだといわんばかり、アリョーシカは自分でも気づかないうちに興奮して身を乗り出していた。
ご婦人はその様子を見て取ると言葉を続けた。
「もし私が引き取るとしたら、条件としてあなたは二度とその子と会うことは出来ないと思いなさい。」
アリョーシカは心の内を読まれたような居心地の悪さを感じた。
「それはなぜですか?」
「預かる以上は本当の母親なんて二度と姿を現さないほうがよいものなのよ。それにまだあなたの息子を私が気に入るかどうかもわからないでしょ?」
「その、ご婦人のお気に召す条件とはどんなことなのでしょうか?」
「そうね・・・まずは身長はどのくらいなのかしら?」
「私のおへその下くらいの背丈で、同じ年の子供たちの中ではとても大きいほうですわ」
「あら、まぁそれはステキね。・・・それから痩せ過ぎてはいないかしら?」
「今は前よりも少しやせてしまいましたが、骨太な男の子なので、ご飯さえちゃんと食べられれば・・・」
「まぁまぁ!骨太はなのはとてもいいこと。それから、生まれついての病気などはないかしら?」
「出産のときも、取り上げてすぐに手足をバタバタさせたくらい元気で丈夫な子供で、今までに大きな病気をしたことはありませんわ。」
「それは見事!」
「あの・・・顔もとてもハンサムで将来はきっと役者にでもなれるのでは、と・・・」
興奮してるように見えるご婦人の反応に、調子をよくして、アリョーシカは息子の整った目鼻立ちを思い浮かべて言った。
「容姿はとくにこだわらないのよ。ハンサムだろうとブサイクだろうと、どうせ同じことなのだから。」
それからご婦人はこれが一番大事とでも言うように、アリョーシカににじり寄って言った。
「あなたの息子はもち肌?それともサメ肌?どちらかしら?」
「ええと・・・きめの細やかなもちもちとした肌をしております。」
アリョーシカは、ご婦人の様子が少し妖しいことに一抹の不安を覚えながら答えた。
「カンッペキよ!」
ご婦人は頬を上気させて
「カサカサしているよりはもっちりしている方がちょうどいいわ。」と興奮気味に言った。
アリョーシカは、なにやら話がおかしい方向に流れはじめていることに気づいた。
「なぜでしょうか?」
「なぜって、だってそれはしょうがないことなのよ。例えば鶏だったらそこらの市場で売っている農家のものと、おフランスのブレス地方の名産地鶏を比べたって、肉質の違いってものは名産のものにはとてもかなわないでしょ?」
何か私は間違った質問をしたのだろうかと、アリョーシカは首をかしげた。
「なんのお話でしょうか?」
「まぁ、あなたがもち肌とサメ肌の違いのこと聞いてきたというのに」
それを聞いてアリョーシカの頭にゾッとする考えが浮かんだ。
改めて屋敷の中を窺えば、いやにひっそりと静まり返っている。
ご婦人と話をしている最中も、建物の中からはご婦人以外の人の気配が何も感じられないことに思い当たった。
大勢の子供を引き取り、養っているのならば、にぎやかな話声が聞こえてきてもおかしくないはずである。
アリョーシカは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「最近は年のせいか脂がのった食べ物って、あまり受け付けなくなってきたのだけれども、こればっかりは不思議といくらでも食べることが出来てしまうから不思議ね。」
ご婦人はもしや、引き取った子供を肥え太らせてから食べてしまっているのではないだろうか。
もし今想像したことが当たっているならば、初めに断られた二度と子供と逢う事はできないという条件もつじつまが合うではないか。
アリョーシカが戦慄しているのにもかまわず、ご婦人は高揚した調子で話し続ける。
「あなたの息子さんは、私の求めている条件にとても合っているわ。一度連れていらっしゃらない?」
「あの・・・えーと」
「大丈夫心配しないですぐに獲って喰うわけじゃないんだもの。」
優しい笑みでご婦人が言ったその一言でアリョーシカは少し安心しかけた。
「今は痩せていても全然かまわないのよ。4歳から5歳位が一番良い時期だから、それまでにたっぷり太らせてあげるわ。
筋肉がつき始めた頃のもっちりしていて、それでいて脂っこくない位が、柔らかさといい、歯ざわりといい、たまらないのよね。」
ご婦人は怪しい目つきで優しく微笑んだ。
アリョーシカは小さく悲鳴をあげると、大慌てでカゴを背負い、青くなって屋敷を飛び出して行った。
ご婦人はそれを見送りながらにんまりと笑みを漏らした。
アリョーシカが振り返りもせずに、大慌てで屋敷の門を出て行ったのとすれ違うように、反対の道からにぎやかな声が聞こえてきた。
アリョーシカを見送ったまま、ご婦人はその声に耳を傾けていた。
やがて、年配の男が10人ほどの子供達を引き連れて庭に入ってきた。
「ご苦労様」とご婦人はその男に声をかける。
「へえ、今しがた門のところでみすぼらしい女とすれ違いましただ。真っ青な顔で飛び出していきましたが・・・」
「そうね。ちょっと悪戯が過ぎたかしら。どうせまた、子供を捨てに来る前にうちの様子を窺いに来たんでしょう。」
年配の使用人は、なるほどというようにうなずいた。
「あなた達が散歩に出かけていて、ちょうど良かったわ。」
「なにやら、またいたずらでもしていたんですか?」
「いいえ、愛があるのなら子供は貧しくても母親と過ごすのが一番幸せなんだって、教えてあげたのよ。」
ご婦人はアリョーシカに手渡したパンの袋の中に銀貨を一枚入れておいたのだ。
「少し芝居がかっちゃったけど」
そういうと、ご婦人はアリョーシカの去っていった街の方角にウィンクをした。
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