ある日の三叉路
※この物語はギャグを地で行く三叉路の実話である。
2008年2月9日
その日、東海地方は珍しく大雪に見舞われた。
岐阜の松井正道(32)の自宅から、当日 会場となる三重県鈴鹿にある複合ショッピングセンターまでの道のりはおよそ1時間30分程度。
前日明け方まで飲んでいたプロデューサーに代わり、運転席に乗り込んだ川田雅之(32)は、エンジンをかけたとほぼ同時に細かな雪が降り始めていることに気づいた。
やがて走り出した三叉路のツアー車 (通称サロンカー)のエンジンもすっかり暖まったころ、粉雪はしっかりと積もる重いボタ雪へと変わっていた。
車の中で携帯電話のゲーム (女神転生ペルソナ)をやっていた混xxx(芸名)(30)はこう語る。
「僕は外の景色を見てびっくりしました。 なぜならゲームに熱中している間に雪が積もっていたからです。(英語直訳口調風)」
降雪による自然渋滞のせいもあり、予定より1時間以上遅れて会場入りした三叉路の面々ではあったが、大盛況のうちにラジオの公開録音とライブをこなして三重県の現場を後にした。
そして物語はここから始まる。。。
プロモーターのM氏(以下 松下さん)の運転で出発したサロンカーは、すぐに大渋滞(およそ分速10m)に巻き込まれることになる。
助手席に座ってナビゲートしていたプロデューサー(以下 北P)は当時の様子をこう語る。
「最初はなんか見間違いかと思ってん。(大阪弁) 携帯の助手席ナビ(アプリケーション)の交通渋滞のマークは普通やったら赤色やねん(以下 大阪弁) なのに そのとき道路が真っ黒になってんねんな。 こんなん産まれてはじめてみたわ。(大阪弁)」
プロデューサー(以下 北P)の見た黒色の渋滞マークは、降雪による高速道路の全面通行止めであった。
普段の交通状態であれば、三重県から名古屋近辺までどんなに渋滞しても1~2時間程度の距離であるが、一宮市在住のファン Yさんの掲示板書き込みにもあったように、およそ6時間以上もの長時間運転を強いられることとなった。
しかし三叉路を襲った悲劇はこれだけではなかった。
ここ数ヶ月のあいだに、サロンカー(三叉路のツアー車)のエアコン故障事情は悪化をたどり、現在ではフロントガラスの曇り取りの風さえ出なくなっていたのである。
当然、視界は絶好調である。
みごとに車内の窓という窓 すべてがフロスト状に結露した水滴に覆われ、演歌の歌詞にあるような にじんだ世界 となってしまった。
拭いても拭いても すぐ曇る窓と格闘しながら 「いまどき窓ガラスを拭きながら走る車なんてないぜ(べらんめい口調)(しかし神奈川県小田原市在住)」とプロモーターM氏(以下
松下さん)は語る。
あまりに曇りがひどいので、全体会議の結果、窓を全開にして外気温を取り込み 曇りをなくす作戦を血行。
雪降る寒さと同じ気温のサロンカー内部で 「今時くるまん(車の)中が寒いなんてありえないんだけどどうよ!?まっちゃん(べらんめい口調)(しかし神奈川県小田原市在住)」と ふるえながらプロモーターM氏(以下
松下さん)。
しかし、そこはサロンカーを知り尽くした男 振り向くといつのまにか松井正道(32)は厚手のジャンパーの上からしっかりと寝袋を着込んで最後部座席に堂々と鎮座してゲームしてた。
※DSに夢中な寝袋ほかほかの松井さん
あまりの寒さに川田雅之(32)からみんなに《貼るホッカイロ》が配られる。
それをみて思いつきだけの男 混xxx(芸名)(30)が携帯電話のゲーム (女神転生ペルソナ)をやりながら 「そのホッカイロを窓ガラスに貼りましょう。なぜなら温度が高いので、曇りが取れるかもしれないからです。(英語直訳口調風)」と提案。
次々に封を切られる《貼るホッカイロ》は、全部で7枚フロントガラスに貼り付けられた。
その結果、わずか3mmほどホッカイロの周辺の曇りはとれた。。。。
※よい提案をした、、と満足げな混xxxさん
その直後、あまりの曇りに怒りを感じた北岡プロデューサー(北P)(関西人)はなんと窓ガラスをライターであぶるという暴挙に出る。
しかしやはり多少の曇りは取れたものの、ガラスに油煙の焦げ付きが付いただけであえなく無駄な努力に終わる。
やがて、曇りガラスとの戦いに疲れ果てた三叉路チームが、のろのろと大渋滞(およそ分速10m)の中 窓を半開きにして走っていると隣の車両から子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。
「あれっ!だいふくのお兄ちゃんたちの車だよ! だいふくのお兄ちゃんたち乗ってるのかな?」
サロンカーの後ろに張られた特大三叉路ステッカーを見て興奮して窓を開けて声を上げ手を降る子供たち。
しかしサロンカーの中はこんな感じである。
※焦燥しきった北P(左)と プロモーターM氏(右)
すべての窓という窓は曇り、フロントガラスにはちょっとコゲた跡が残り、ホッカイロが7枚貼られ、窓が半開きで寒さに凍える三叉路チームには 誰も声援にこたえる余裕はなかった・・・
いつしかプロモーターM氏(以下 松下さん)からこんなセリフが念仏のように唱えられ始める。
「みんな寝るな~ 寝たら死ぬぞ~・・・(そこは一応 べらんめい口調)(しかし神奈川県小田原市在住)」
そんな悲痛なメッセージをよそに、三叉路のメンバー(結成からまもなく10年)は、こんな出来事 日常茶飯事で慣れきっているので 実は全っ然 なんともなく、後部座席で「寒いなぁ」とかいいながら各々携帯ゲームに熱中していた。
※運転席の二人の焦燥ぶりにほくそ笑む川田さん
辛かったのは、巻き込まれた事務所の二人だけであった。
ようやく高速道路までたどり着いたときにはすでに深夜1時を回っていた。
一番近い高速道路入り口が名古屋より少し浜松よりの豊川インターである。
そこから通常で約4時間の帰路をさらに走らなければいけない。
凍結によるスリップの恐怖におびえながら運転するプロモーターM氏(以下 松下さん) と プロデューサー(以下北P)(関西人)、そしてしっかり仮眠をとった三人が家路についた時には、もう日が昇っていた。
結局、最後の運転手がサロンカーを駐車場に無事に収めたのは、朝の7時ころだったという。
こうしてまたひとつ 三叉路 不~運伝説にあらたな一章が付け加えられることとなった。
不幸な事務所の人間を新たに巻き込みながら・・・
080219xxx