この支配からの卒業

僕は鏡に向かうと目の下に、(寝不足でクマが出来たみたいに)逆三角形にうっすらと剃刀を走らせる。




僕が5年間通った専門学校を、今だに憎しみをもって語るわけじゃないことを最初に解ってもらいたい。
でも、僕がやったことは、今でも決して後悔しているわけじゃないのも事実。
学生生活ってのは確かに、楽しくもあり、悲しくもあり、辛いこともあり、切なくもあり、たくさんの思い出を僕に残してくれた。


その学校の教育カリキュラムは100%満足いくものではなかったけれど、今僕が三叉路でみんなの前で演奏している、バッキングギターのプレイは、全てここで培われた。
僕の音楽性の礎を築いてくれた、たくさんの教授や先生方には感謝もしている。

こんな前書きをしないと、その関係者の方々に非常な迷惑や誤解を生んでしまうような、僕の卒業のエピソード。
まもなく卒業から10年が経とうとしている今ようやく「、書けるんじゃないかなぁと思う。
もし当時のことを知る人がいて、内容が違うことがあったとしたら、僕の記憶から掘り起こしたフィクションとして読んでください。



僕の通った専門学校はクラシックギターの専門学校で、学長はこのギターオーケストラの分野では世界的にも名前のある立派な方で、芸術博士号も持っている。
僕もクラシックの合奏で、たくさんのことを学長から学んだ。
2年生の頃には『和太鼓とギターのオーケストラ』という曲で、和太鼓チームの『樽太鼓』を担当した。
その海外公演で、オーストラリアはシドニーのオペラハウスと、メルボルンの2箇所で舞台を踏ませてもらった経験もある。

ギターオーケストラってのはクラシックギターをバイオリンやビオラ、チェロなどの弦楽オーケストラと同じようにパート分けして、数人の小編成から何十人もの大編成まで、指揮者に合わせて演奏する。

ギター自体もオリジナルで改良を加え、バイオリンに相当する『アルトギター』や、ビオラ役は普通の、通称『プライムギター』、チェロに相当する『バスギター』、コントラバスの低音に相当する『コントラバスギター』、 変り種で脇に抱えて弾くのではなく、足の間に挟んでウッドベースのように弾く、ずんぐりした『ギタロン』など
独自の楽器を製作し、フルオーケストラに引けをとらない音楽性の高い演奏をすることで世界から脚光を浴びている。

とまぁ、表向きは良かったんだけど、当時の僕のいた新潟校は生徒も少なく、あるといわれて入学したエレキコースもふたを開けたらエレキの先生がいないばかりか、友達の方がずっとテクニックがあったり、全寮制の共同生活のシステム的な破綻やら、校舎や設備の不満など、揚げ足をとろうと思えばいくらでもとれるような状態。

卒業間近の頃にいたっては、授業もなんだかお粗末な具合でかなりフラストレーションが高まっていた。
今になって大人の目線で考えれば、しょうがない事情もいろいろあったんだろうけど、それはパンク少年真っ盛りの僕には一切関係のない話。 何か一泡吹かせてやりたいと、アナーキーな謀略を練っていた。



ギター専門学校の卒業式ともなれば、普通卒業生はかなりのギターの腕前になっていないとおかしいもんなんだけど、僕は途中から「もうクラシックなんてやぁ!」とパンクに走り、ろくにギターを弾きもしなかった。

この学校では卒業式と卒業演奏(以下 卒演)が対になっていて、式典の後 舞台転換をして演奏会になる。
当時は姉妹校が学校法人 二校と財団法人 一校の合わせて3校あり、合同の卒業式を行っていた。
もちろん普段あまり会うことの少ない同期卒業生もたくさんいる。し他校のほうが技術力が高かった。
今は姉妹校が増えているかもしれないし、新潟校の技術力も上がっているかもしれないし、カリキュラムも設備も改善されているかもしれないけど、もう僕の知るところではない。

卒演は卒業生がソリスト・・・といって、要はオーケストラの真ん中に一人座ってギターソロをバリバリ引かなくてはならない。
教授陣からすれば、自分の教え子がどれほどの演奏力を身につけたか、という いわゆる、各学校の名誉をかけた戦いともいえる。

当時は他の学校ではエレキギターのコースも始まっており、エレキソロをする人ももいたりしたが、僕は未だにそうだけど、エレキでもクラシックでも ギターソロってゆーやつが大の苦手で、「そんなん よぅわからんっけん ちょっとだれかお願い」って感じ。
ギターが嫌ならコレしかない!!・・・とギター専門のくせに演奏に自信のない僕は、とんでもない曲を演奏することにした。

僕が選んだ曲は、というか僕が作曲した曲を選んだんだけど、 その名も


『複雑骨折 重症患者~末期癌先生~パンケーキリクガメふっくらの憂鬱』


こんなチャーミングな名前にも関わらず、卒園のプログラムに曲名が長すぎるのと、祝賀コンサートにふさわしくないタイトルとのことで、配布用のパンフレットには「パンケーキリクガメふっくらの憂鬱」とだけ記載

果たして内容は、というと、5年間も専門的にやってきたはずのギターは一切弾かず、オーストラリアの現住民族が祭りごとでこよなく愛する「ディジュリドゥ」という長さ1,5mほどの筒状の楽器で、ギターオーケストラをバックに従えてソロ演奏!。
学校の歴史の中でも前代未聞のパフォーマンスを計画していた。



そうそう、話を進める前にディジュリドゥって何?って思う人のために・・・

その昔ユーカリの倒木の中心をシロアリがかじり、筒状になったものに強い風が吹き込み悪魔のほえ声のような音を出した。
原住民たちは恐る恐る、その音の鳴る不思議な筒を持ち帰り、悪魔のち○ことして儀式や祭りごとに用い、魔よけとして吹いた。。。らしい
                        
          悪魔のちん子を吹く混 (四谷のRECスタジオにて)
演奏方法はトランペットとかに似てるみたいなんだけど、「循環呼吸法」という、特殊な呼吸法マスターすれば、1時間でも2時間でも延々と吹き続けることが出来る。

詳しくはないけどアボリジニの神話を歌や踊り、アートとして伝承してきた文化のことを「ドリーミング」と呼ぶらしく、一晩中唄い踊ることもあったようで、まぁ一種のトリップに近いものかもしれない。

僕も循環呼吸は多少出来るようになり、最長20分くらいこれを延々吹きつづけた事もある。
軽い酸欠状態のせいか、確かになんだか変な気分になってくるわな。

どんな音がするかというと、本当に悪魔のほえ声です。
ぶぅわ”を”ー~ん”って感じの、ものすごく倍音がお腹に響き、吹き方しだいではいろんな種類の音を出せる。
例えば、”ブーメランを投げる”時の風を切る音であったり、”カンガルーのジャンプ”する音であったり、実際そんな音しないだろと突っ込みたくなるけど、日本語訳されたマニュアル(カセットテープつき)にはそう書いてあった。

昔三叉路で路上のときにコレを持っていて、野良犬が吠え掛かってきたときに、一吹き!
マジで尻尾を丸めて一目散で野良犬は一目散に走り、逃げ去っていきました。



話をもとにもどして・・・と


オーケストラのバックは、在学生と同期の卒業生も含み10数人で、もちろんアルト、プライム、バス、ギタロンとオーケストラ編成をとり、この楽器の特性上どうしても打楽器が欲しかったので、趣味で兼ねてから集めていた、僕の民族系打楽器コレクションをドラムの上手な親友にやってもらった。

せっかくバカやるなら俺も一緒に遊ばせろよ、と同期で卒業するMがエレキギターソロとして参入。

教授の巡回のときはおとなしめな演奏でごまかして、『重症患者』 の準備は秘密裏に着々と卒演に向けて進行していった。



いよいよ演奏会も当日を迎え、卒業生や教授陣、在校生と保護者諸兄、それぞれの思いを乗せたコンサートの日がやってきた。
場所は横浜は桜木町、みなとみらいのとあるコンサートホール。

卒業式では涙を見せる同期達を尻目に、「ケッ! くだらねぇぜ」と足を組んで爆睡。
厳粛な卒業式はあまりにも記憶になさ過ぎる。
みんなそれぞれ最大の大人びた格好で参加していたが、僕はジーンズショップ306で買った6,000円位のお気に入りのジャケットに黒系のパンツ。(そういえば今でもこのジャケットをよく着ている)
会場と僕の温度差なんてどんどん広がればいいと思っていた。



式典(快眠?)も無事に終わり、ステージ上では在校生達がめまぐるしく舞台転換をしている。
卒業生達もタキシードやらドレスやらに着替えて演奏のスタンバイを始める。
おかしかったのは、みんなギターのチューニングを一斉に始めているのに、僕だけ手に持ったディジュリドゥを孫悟空みたいに振り回して遊んでいること。

一曲目が始まり、荘厳なバロック時代のコンチェルトが会場を包み込む。
(ヴィヴァルディだかヴァカルディだかしらねーが、せいぜい感動を与えてくれ)と思う。
2曲目、3曲目も同じような曲。僕はたしか真ん中よりちょい手前くらいの順番。
さてと、戦闘モードに切り替えるかな、とようやくガラ空きになったトイレの鏡の前に立つと、持ってきたケースから剃刀を取り出す。


どこだかしらないけど、アフリカの方の現住民族は成人式の儀式でスカーリングという刺青のようなものを顔中体中に入れる。
僕の左手にはいっている『 xxx 』の印も20歳を向かえた時に、大人になっても今の僕を忘れないために入れた、僕だけの成人式の儀式。
スカーリング(正式にはスカリフィケーション)とは薄い切り傷にインクを刷り込み、傷が完治した後でもその模様はタトゥーのように一生残るというもの。
最近では身体改造の一環としてタトゥーよりマイナーな位置づけでマニアックなコミュニティをつくっていたりもするけど、そもそもの起源はきっと、文字や動物を象徴する模様を体に刻むことで、野生で生きるための力を増幅するための、人間の内在する衝動だったんじゃないかと僕は思っている。


僕は鏡に向かうと目の下を、ちょうど寝不足でクマができたときのような逆三角形の形をなぞるように、うっすらと剃刀を走らせる。
血が出るのはほんの数分。後には赤ペンでクマを隈取りしたような後だけ残る。
それから、インクのボトルのキャップを開けると、人差し指をそのまま突っ込み、左右のほっぺたに二本ずつ線を引き、それから首にも のど仏を中心に逆三角になるように模様を描く。

ズボンを脱いで右の太ももにも剃刀で目玉の絵を描く、ついでに調子に乗って X を三つ描く。
それから今度は左の太もも。
このとき僕は無意識か意識的にか左ももに「混」の文字を描く。
きっと僕の中のカオスがようやく内面から外面に現れ出ることができた、産声を上げた瞬間だったのかもしれない。

今まで穿いていたズボンを脱ぐと、衣装用に持ってきたビリビリに破けただぶだぶのジーンズに履き替え、ジャケットも脱いで裸の上から、これもいい感じにビリビリなTシャツを着て、出撃の準備は完了!
うっすらと滲み出した太ももの血が、破れたジーンズをよごすのも卒業式にはうってつけの演出だ。


トイレから出ると、すれ違う誰もが目を見張る。
予測済みの反応を、僕は完全シカトを決め込み、バックを演奏してくれる仲間の下へと歩いていった。
まぁ、このカッコウには仲間もかなりびびったと思うけど、日ごろの僕の素行を知っているだけに、
「あぁこいつ、マジだな・・・」くらいだったんじゃないかなぁと思う。

僕の出番の一つ前のコンチェルトが始まった。
舞台裏では、今さっき演奏を終えたばかりのグループや、舞台転換のステージ係、時計とタイムテーブルを睨みながら段取りを指示する進行係、絡まったマイクのケーブルを慣れた手つきで巻きなおす音響係、そして次に順番を控えている僕らと、在校生を中心に生徒も先生も入れ替わり立ち代り自分の役割を果たすために出入りしている。

もともと本番直前まで、あまり緊張する方ではないんだけど、ここまで腹をくくると僕なんかよりもきっと、バックを演奏するみんなの方がいやぁな緊張感につつまれていたんじゃないかな。

ステージでは曲が徐々に盛り上がっていき、クライマックスを迎える。ソリストがカデンツァを弾ききり、最後を華々しく飾る。
きっとこの卒業生は良いギタリストかこの学校の先生になるんだろうなと思いながら、舞台袖からステージを眺める。
演奏者が全員立ち上がりお辞儀と同時に、客席の父兄から大絶賛の拍手が沸きかえる。

演奏を終えたソリストが退場してきて、それに続いて指揮者とバックの演奏者がギターを抱えてわらわらと帰ってきた。
いよいよ本番だ。司会者はたぶん首をかしげながら「次の演奏はパンケーキリクガメふっくらの憂鬱・・・?」とでも言うのだろう。

先にバックの演奏者が配置に着き、サブでエレキギターソロをひくMが入場しセッティングを済ます。
ステージの上はみんなタキシードとイカムネカラーのピシッとしたYシャツを着た、いかにも演奏者達ばかり。
ここにズボンもヨレヨレのビリビリでシャツの破れ目からは肌が見え隠れし、顔面民族化粧を施した僕が颯爽と登場し、お辞儀。
そういえば客席の中には何も知らないで僕の母親が座ってるんだっけ・・・と思いながら・・・・・。
普通、演奏が始まる前は静まり返るもんだけど、きっとここまで静かな無音になることも珍しいんじゃないかな。

そんな静寂を破り、僕はディジュリドゥに唇をつけ大きく息を吸い込む。


ぶぅヲわ”を”ー~~ん”

さぁ 始まりましたよ『重症患者!』まずは僕のソロから始まり、”ブーメランを投げた音”の擬音「ブゥヲッ ブゥヲッ」とか、”カンガルーのジャンプ”の擬音「びょゅ~ン”ビジョゃヨ~ん」とか、”かわせみの泣き声”の擬音「トジョジョジョじょッジョっジョっ」っていう、ディジュリドゥの日本語訳マニュアル(実演 カセットテープつき)にあったとおりの様々な”自然の音”というやつを立て続けにまくし立てる。こんなひどい自然音があるかいっ!と心の中でつ込みながら。

もうこの時点で、観客席は「今日は息子、娘の卒業式」とか「クラシックの卒業演奏会」だとかぶっ飛び軽いパニック。
頃合を見計らって隣のMがエレキギターをバリバリに弾き始めるが、コレが足元にある小型のアンプにしか音を通していないもんだから、耳を凝らしてもたぶん客席側ではほとんど聞き取れない。
まさにエレキギターソロ ならず エアギターソロ 、新潟校一番のエレキの腕前なのに・・・
ま、たとえ聞き取れたとしても弾いているのはただの音階練習でドレミファソラシド~位のもんなんだけどね。

さらにエアギターが盛り上がりを見せ始めたころに、バックのオーケストラが荘厳なるアルペジオ練習曲をズンチャンズンチャンと弾き始める。
コレも入学したら最初にやる基礎技巧で、わざわざ演奏会で聞きたいなんて誰一人思うはずのない曲。
僕がディジュリドゥで”狼の遠吠え”の擬音を「アオー~ン』と吹くのを合図に打楽器がめちゃくちゃに鐘やら太鼓などを打ち鳴らし始める。

バックのアルペジオ練習が徐々にクレッシェンドしてゆき、最大のfff(フォルテッシシシモ)になる。
エアギターも架橋に入り、みてる方が恥ずかしい。
打楽器は最初から分けわかんない。
そして僕の2度目の合図。”狼の遠吠え”でバックの演奏者はキリの良いところで演奏をやめると、ギターを持って退場してしまう段取り。
今度は”狼の遠吠え”をやりながら、実際に声をだして唄いだす。ブォブオいう音の方が大きいのだけど、少しだけ、ほんのうっすらと歌詞が聞き取れるくらいの歌とメロディ。

最後にエアギターのMも小さなアンプを持って退場。
またもディジュリドゥソロの微妙な静寂の中で、うっすらと聞き取れる歌詞は 「ひ~~と~~に~や~さ~し~く あ~あ~あ~あ~あ~あ~・・・」。
ブルーハーツの『人に優しく』がこのときばかりは父兄のみんなには優しく聞こえなかったことと思う。

やがてブルーハーツの熱唱を終えて、ディジュリドゥを口元からはなす僕。
演奏時間はトータルで4分弱程度だと思うが、意味不明の音から開放されて会場からは微妙なため息がこぼれる。
しかし、僕はここでまだ終わらせる気はない。
劇団ひまわりにいたときに最初に習ったのは、正しい姿勢と正しいお辞儀。
その、「自分自信が一番まっすぐきれいに見える正しい姿勢」で丁寧な45度のお辞儀。 から両手を腰に持っていきズボンに手をかけて一気にかかとまで引きおろしてやった。

そこにはトランクスなんていう邪魔っけな物は穿いておらず、きっと卒業式とは一番かけ離れたこの日だけは一番見たくないモノがぶら下がっていた。


会場のどよめきなんてもう関係なく、血の固まった太ももと、ズボンをかかとに引きずりながら退場。
途中じゃまっけな椅子を蹴り倒しながら。。。
そういえば客席の中には何も知らない僕の母親が座ってるんだっけ・・・とか思いながら・・・・・。



じゃまっけな人を腕ではじき倒しながら、ものすごい剣幕で担当の教授が控え室にやってきた。
そのまま僕の胸倉を掴むと、飛び出しそうな目玉でにらみつけながら、「お前が全てぶち壊したんだぞっ!!!」と悲鳴に近い絶叫で僕に怒鳴りつけてきた。
当然僕も腹はくくっているから、「はぁ、そうですか」といったままお互い睨み合いが始まった。
そのままおよそ10分位そのまま無言の睨み合いが続いたんじゃないかと思うけど、もしかしたら2~3分の出来事だったのかもしれない。このときばかりは僕も一歩も譲る気がなく、激しい睨み合いが続く。
目から火花を散らす感覚ってのが、アニメじゃなくて本当にあるんだなと初めて知った。
時間が止まってしまったように感じ、周囲も僕らのの呪縛で身動きも、音を立てることも出来ないような緊迫感につつまれていた。

しばらく誰一人その場から動くこともできないような状態が続き、別の姉妹校の先生が教授の出番を告げるためにやってきた。

早く出て行きゃいいのに本当に本当のギリギリまで教授は僕の胸倉を掴んだまま離さず、先生にせかされてとうとう、「お前はぜっっったい卒業させない」 と怒鳴り、ステージへと去っていった。



そして確かにその日卒業証書をもらうことは出来なかった。

うちの母親も心得たもんで、出来損ないの息子を散々かばって頭を下げてくれたそうだが、そんな母親に「あの演奏はなんだったの!!恥かいたわ!!!」と怒られ、僕も母に頭を下げました。

「卒業証書だけはもらいなさい。金出して学校に行かせて上げたのは誰だと思ってんの!」と怒られて、初めて悪いことをしてしまったんだなぁ・・・とぼんやり思いました。

それから、学長宛に直接 謝罪の文章を書き、たぶん親も僕の見えないところで度々学校に足を運んだと思うのだけど、半年以上立った秋が色づき始めた頃になってようやく僕は卒業したのでした。




070321xxx

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