東北路上ツアー


最近東北地方に足を運ぶ機会が多くなってきて、つい昨年いよいよ本州の最北端 青森市まで行ってきました。
実は三叉路で青森に来たのは2回目のこと。

結成当時、僕ら三人とも性格も違えば通ってきた音楽のジャンルも違う。僕とかわやんに至っては 一日一緒にいることがあっても必要最低限しか会話しないとか、そんな感じだったから とりあえず親睦を深める意味でも、又 当時電波少年のストリートの旅がジャストのタイミングで放送されていた事もあり、金かけないで3泊4日くらいの路上ツアーをしようって話になった。

場所きめは超適当で、いままで三人が行った事の無い所を回ろうってことで東北方面に決まり、やるなら中途半端じゃなくて最北端を目指そうって話になった。
その頃はようやくストリートに火がつき始めた頃で僕ら三人とも路上で歌うっていう価値観にものすごく抵抗があったのね。
でもそこはそれ、三人とも妙に我が強いところや負けず嫌いなところがあるから、びびってるなんて思われたくない。 話が決まるや、もうソッコーで日程の段取りをして僕の実家の車を借りて飛び出して
いったんだ
・・・まだ 三叉路として5〜6曲しか持ち歌ができていないくせに。。。。

この頃の持ち歌は、それぞれ三人がソロでやっていた曲をお互いがカバーしあい、川やんのギターアレンジとまっちゃんのハモリのラインをなぞって三声のハーモニーと三本ギターのスタイルを確立しようと手探りをしていた時期だった。
曲は、まっちゃんから『二人の恋のお話に』『今日もここで』かわやんから『ドライブ』『旅に出よう』 僕が『今年最後のトンボの歌』『Wisper』とかそんな感じだったかな?
そしてちょうどこの頃に作った曲が今もライブで唄ってるテーマソングの『三叉路』で、ノリで僕が作った詞でまっちゃんに曲を作ってきてもらって、かわやんがアレンジしたもの。
まっちゃんが当時持っていたYAMAHAのイオスっていうキーボードを使って、足りない脳みそをフルに稼動させ技術の総力を結集させた打ち込みの曲だったんだけど、一瞬でかわやんにギターアレンジにされてしまいました。

そんな、まだデモテープすらもっていない僕らが集結したのが2000年の5月中旬。
下北沢でカラオケの深夜バイトをしていたまっちゃんを早朝5:00にピックアップ。
一路東北道を北に走らせました。
まぁバイト上がりのまっちゃんを気遣ってかわやんと僕で運転しながらおよそ7〜8時間かけて青森駅に到着。
起きたまっちゃんの第一声が 「気づくとそこは青森だった・・・」 
この一言が未来の僕らの運転手を暗示する名言になるとは当時は予想もしなかったんだけどね。。。


青森駅の裏手はすぐに港になっていて、ひとしきりはしゃぐ僕ら。
そしてひとしきりはしゃいだ後に気づいたことは、5月なのに回りの人はみんなコートを着ているってこと。
ちょうど東京が暑くなり始めた頃で、薄着で海風にあたった僕らは、青森に着いた興奮をものの10分で凍えさせてしまった。

さらに拍車をかけて寒かったのが、青森駅って意外と小さいのね・・・
もちろん路上をやってる人なんて誰一人いないし、寒いからみんな歩くスピードがめちゃくちゃ速い。。。
いろんな不安を抱えながらギターを抱えて唄い始めるんだけど、案の定誰一人として聞いていってくれない。
30〜40分くらいがんばってここは場所が悪いから移動しようって話しになって、メインの大通りを歩き出す僕ら。
雪国ならではアーケードに天井を覆われた大通りにはところどころ椅子があったりもして、そんな人のたまりそうなポイントを見つけるたびにギターをケースから引っ張り出してトライ!
段々と路上演奏の雰囲気とかがつかめてきた頃にようやく一人の男性が僕らの前に足を止めてくれた。
今だったら気さくに「こんにちは 三叉路でーす!」とか挨拶をするところなんだけど、まさに初体験の出来事で 三人とも超緊張してやっぱうまくきっかけがつかめずに話しかけられなかったんだけど、そこはやっぱり さすがのリーダーまっちゃん。。
「東京からやってきた三叉路です。はじめまして」 「ただ今東北路上ツアー中なんですが、ケースに入ったお金を食費と旅費にしています。 よろしくお願いしま〜す。」
この間合いが絶妙で、あと一曲MCできずに演奏しちゃっていたら、途中で帰ってしまっていたかもしれないんだけど、この一言がきっかけで「東京から来てるんだ!青森はまだ寒いでしょ!? がんばってね!!」って500円玉をケースに投げてくれたんだ!

もう うれしかったね! 規模は小さいけれど 三人ともいわゆる初めての音楽収入ですよ!
これでようやく少し自信のついた三叉路は、日の暮れかかったアーケードをあっちこっち転々としながら唄うんだけど、その後は人通りが途絶えてしまってなかなか成果が上がらない。
日も落ちて寒いし腹減ったし、そろそろ車に戻ろうかって時に、とおりの向こうに繁華街が見えたので そっちに最後の望みを託して移動、まだ酔いもあまりまわっていない繁華街の歩道で演奏しはじめるんだけど
呼び込みのお兄ちゃんに「ここじゃやらないでくれよ」って一蹴されてしまいました。

結局この日はその500円でカップヌードルを一人一個ずつすすって暗澹とした気持ちのまま次の拠点、盛岡市を目指して深夜の下道を黙々と運転した記憶がある。

深夜の移動の最中まっちゃんが運転して僕が助手席かわやんが仮眠しているときに当時のまっちゃんのギターの下手さ加減にうんざりしていた僕が放った言葉がある。
「あのさぁまっちゃん。夢語るのはいいんだけど、あんたのギターの腕じゃプロなんてなれねぇよ!
三叉路でメジャーデビューしますなんて、それこそガキが将来僕はウルトラマンになりたいですって言ってるようなもんだぜ!!?」
もちろん僕自身の地獄のハモリやギターテクは棚の上の上に置いての自己中発言なんだけど、どうやらこの言葉は後々までまっちゃんのテンションに刺激を与えたみたい。
もちろん後々まで僕とまっちゃんの間に禍根としてのこるんだけどね。。。



東北路上ツアー二日目
深夜 青森から一般道を駆け抜けて盛岡駅前についたのが早朝。
通勤のラッシュも始まる前で、とりあえず仮眠できる場所を確保するために市内のあちこちを探検。
岩手公園のすぐ脇に小川が流れていて車が止められそうな場所を見つけたのでひとまず三人とも仮眠することにした。
昨日の青森とはうって変わってポカポカ陽気で車の窓を開けて、春風に吹かれながらうたたね。

昼過ぎに僕とまっちゃんが起き出してさっそく公園をお散歩。
来たときは疲れていてそれどころじゃなくて気づかなかったんだけど、5月の盛岡は桜が満開!!
気候が寒い土地柄のせいか、東京よりもみごとな桜と岩手の大自然に二人して「すっげー」って感動して朝ごはんも食べずに(というか買えずに)さっそくギターを持ち出してうたうことにした。
かわやんは運転のアンカーで一番長距離を走って、まだ爆睡中なので、とりあえず二人ともソロで別々の場所に散って路上をスタート。

このときは僕はブルーハーツの「青空」「僕の右手」とか映画でおなじみの「スタンドバイミー」とか尾崎豊とかをうたった記憶がある。
5〜6曲歌ったころまっちゃんが「混ちゃんお客さん来たからかわやん起こしてきて」って呼びに来て大急ぎでまだ目やにのついてるかわやんにギターを持たせてまっちゃんのところへ駆けて行くと、7〜8人の女の子に囲まれて得意そうに唄っているまっちゃんを発見!
早速僕らも加わって岩手県初の三叉路路上がスタートした。
人の心理は面白いもんで、人だかりが出来ているところにみんな興味をそそられて段々と人の輪が大きくなってゆく。
最初の娘達が去って行った後も、入れ替わり立ち代わりして3曲くらいずつみんな聴いて行ってくれる。
まぁ当時は「3曲聞いたらおなかいっぱい」ってくらいのレベルだったんだけど、こんなの初体験だったしレパートリーの少ない僕らにはそれくらいがちょうど良かったんだな。。。
ギターケースの中にはだんだんと小銭もたまってきて、人の波が切れた途端にコンビニに走ってお弁当を調達!
春風と桜に囲まれ幸せいっぱいのランチタイムを満喫しました。

その後もしばらくその場所を陣取ってストリートライブ!。近くの介護学校の生徒さんが授業で車椅子を押しながら通りがかり、「実習終わったら見に来るねー」って言って、本当に一時間後に20人くらいで見に来てくれたり、中には「どこそこのお店のおいしいお団子だよ」っていって、子供のおやつに買ったばかりのお団子をくれるおばちゃんもいたりして、盛岡の人の温かさに感激した三人でした。
太陽が夕暮れ色に染まり始めて人の流れも少なくなったころ、ふと顔を上げて見渡したまっちゃんが川の向こうにFM盛岡を発見!
「駄目でもともとあたってくだけろ!でしょ」って言ってまっちゃんを先頭にFM盛岡へ歩き出す三人。
僕は「そんなの無理に決まってんじゃん!」って思いながらついていったんだけど、ドアをノックして出てきた担当者の方に「東京から路上ツアーでやってきた三叉路です。ゲスト出させてください!」みたいな感じでまっちゃんが交渉。
「少々お待ちくださいね。」といってドアが閉じられ、「やっぱ駄目かぁ」と三人。。。
しかし、しばらくしてから別の人がスタジオから顔を出して「どうぞこちらへ」といって僕らを奥の収録ブースにあんないしてくれたのだ!。
その時何を話したのか、どんなやり取りがあったかはなんか緊張していてあんまり覚えていないんだけど、音源も持ってないから生演奏をして しゃべりはまっちゃんにお任せって感じだったような気がします。
ラジオ局を出て公園に向かって走りながら三人でジャンプでガッツポーズ!!
これが三叉路の初めてのメディア進出でした。。。

それから夕方は盛岡駅の地下通路でストリート!
腹が減ってきたので、盛岡といえばワンコそば!ということで、スケボーにのった少年とお友達になり、ワンコそばの有名店を聞いたら地下通路出てすぐ、駅の真正面がそのお店だって言うのでさっそく突撃!
まっちゃん 83杯 かわやん 68杯 僕は88杯食って大満足して盛岡の地を後にしました。



東北路上ツアー3日目
いよいよ最終目的地仙台に到着したのがやはり早朝というか日の出前で、こんな時間からストリートなんてできませんねって感じでまずは温泉探し。
地図を開くと近場で秋保温泉なるお風呂マークを見つけたので、さっそく移動。
めちゃめちゃ立派な建物の「ホテルずいほ」っていう旅館を見つけたんだけど、なんか人の気配がまるきり無い。
正面入り口のガラス越しに中をのぞいてみるとこぎれいに片付けられた廃屋と化しておりました。

しかし、当時は廃屋だったこの「ずいほ」のお宿。じつはこの時から7年先の インディーズデビュー後に仙台を回っている最中に格安のお値段で泊まれるお宿にリニューアルされて再会することになるとは、三人とも思っても見ませんでしたが。。。

しょうがないので次に近そうな温泉マークを頼りに移動開始。遠刈田温泉に到着。
小さな大衆浴場でさっぱりとした僕らは温泉街に感謝の意味でストリートを1ステージやって仙台市内へと戻ってきました。

駅のどっち側かよくわかんないんだけど、仙台駅前には「ペデストリアンデッキ」っていう舌を噛みそうな名前の駅前広場があって、良い頃合の時間を見計らって路上開始!。
最近ではもう駅前で路上なんて出来なくなってしまったみたいなんだけど、路上にはうってつけの絶好の場所で、歌ってるそばから人垣ができるできる!!
そしてケースの中にもお金が入る入る!!!

路上の合間には高校生たちがジュースを買ってきてくれていろいろおしゃべりをしたりデモテープをつくったら絶対にまた来てねっ!て声をかけてくれたりと、すごく暖かく迎えてくれた。

その中に高校入学したばかりだったかなぁ(?)ヒデトってやつがいて、路上を駅前で終えた後 飲み屋街の国文町で路上やればもっと稼げるよ!なんて誘われて、行って来ました東北一の歓楽街。
本当にあそこは新宿の歌舞伎町みたいな感じで、まさに歓・楽・街って感じ。
その中を道の端っこにギターケースを広げ、酔っ払いや呼び込みの喧騒に負けないくらい大声を張り上げる。
僕らが並んで唄ってるすぐ隣にピンクチラシを張りに来たお兄ちゃんが、がんばれよ〜って言いながらものすごい速さで何十枚も小さいチラシを公衆電話のガラスに張って去っていく中、人垣こそ出来ないけど それなりにおじさんたちからもエール(札)をいただき、すっかりフトコロのあたたかくなった僕ら。
うしろ髪をひかれながらも仙台の地を後にしました。

あの頃最後までいっしょに聞いていってくれたヒデトや仙台育英高校の学生たちは今頃何してんだろうね。
最近仙台のとあるジャスコでフリーライブをしていた時、この東北路上ツアーで知り合った女の子が見に来てくれたんだけど、もう立派な社会人さんになっちゃっていて、それでも三叉路のことを覚えていてくれてすっごいうれしかったなあ。



仙台でも盛岡でもどちらも一万数千円入ったんだけど、小銭ばかりでのおよそ3万円くらいってのはもうめちゃめちゃジャラジャラで、使う方が大変。
帰りのガソリンスタンドで全部10円と100円玉で満タンにしたらさすがにバイト君にいやそうな顔されました。
仙台からの帰路もずっと下道で地図を見ながら国道を一路東京へ。
こうしてお昼頃にはそれぞれお家に帰り着き第一回目の東北路上ツアーは無事に成功したのでした。
三人の距離感がぐっと縮まった三叉路の初イベント。これを足がかりにしてまた第二回の東北ツアーへと旅立つのですが、それはまた次回!(いつになるのか・・・)


                          そのうち続く?

070115xxx

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