好評か不評か知らんけど、今までアップして来た『混キチのアルバイト日々!』
せっかくなのでコラムで一挙に公開しちゃいます。
えらい長くなるので、とりあえず前編から・・・


『混キチのアルバイトな日々!』

やってまいりました、混キチのアルバイトな日々!
今まで数多くのアルバイト経験のある混ちゃんがお届けする、過去にやったことのあるバイトのあれやこれやを赤裸々につづるこのコーナー。
第一回目は初めてのアルバイトからどうぞ!


アルバイトナンバー1・・・『ステーキハウスの○ん』

初のアルバイトですね。全国?チェーンのステーキハウスでのお仕事。
履歴書を書くのがめんどくさくて、てこずった記憶があるなぁ。
お店の客が一番少ない時間帯にすみっこのテーブル席で面接。
まかないのステーキがうまかった事だけが記憶に残っております。

これもオーダーとるときが結構面倒で、
俺 「焼き方はいかがいたしましょうか」
客 「じゃあ、ミディアムで」
俺 「ソースはオニオンとバーベキューとすぱいしーがありますが、、、」
客 「じゃあオニオンで」
俺 「セットのスープはポタージュとオニオンから選べますが。。。」
客 「じゃあポタージュっ!(やや怒り)」
俺 「サラダのドレッシングはさうざんあいらんどと和風と@@@@
客 「えっ!?なにぃ?(怒り)」
俺 「今ならお得なサンキューセットが・・・」
客 「いらないから早くしてくれよ!(マジ切れ寸前5秒前)」
俺 「焼き方はどうするんでしたっけ・・・?(マジで恋する5秒前)

  ってな具合で、一件オーダーとっている間に一時間はかかるというオニのようなマニュアル!

もう普通にウェイターだったんだけど、当時はまだ高校生だったので仕事も適当。
当日無断欠勤が続きいつの間にやらフェードアウツッ!
わずか2週間ばかりのはかない初仕事でした。。。。



アルバイトNo,2・・・ ダ○エー倉庫仕分け

次にチャレンジしたのがダイエーの冷凍食品仕分け作業。
羽村の産業通り沿いには広い敷地にたくさんの工場が軒を並べております。
その中のひとつにダ○エーの倉庫があり、埼玉方面から町田厚木方面のダ○エーへの冷凍食品出荷仕分けをここでやってました。
入り口のドアが分厚くて中は真冬並の寒さ!作業用のコートを着て軍手をはめて重たいコンテナをあっちに運びこっちに運び、送り先のリストの商品を一個ずつ検品してトラックに運び入れるまでが僕らのお仕事。
イカシタないすなおばちゃん達が半端もんの僕を協力にサポートしてくれたおかげで、ここでは3ヶ月以上も頑張ったような気がします。



アルバイトナンバー3…ゼネラル石油 千代田エネルギー

高校中退してからはじめたガリリンスタンドでの給油の毎日!
「いらっしゃいませ」の声が小さくておこられたり、洗車の仕上げがなってなくて怒鳴られたり、車内清掃のカーペット裏に落ちてた100円玉をくすねてジュース飼ったり、ガリリンと経由を間違えて白い煙をあげさせてしまったりと問題児だったんだけど、みんなにかわいがられて楽しくお仕事しました。
バイト同士で給油やオイル交換での売り上げをグラフにして競争していたんだけど、僕はほぼ毎日出勤で一日中バイトしていたので給油売り上げナンバー1にもなったりして、サービス業が楽しいなって思った初めてのお仕事だな。
特にMさんっていう社員とその彼女のTちゃんってかわいい先輩にかわいがれていて子犬のようにくっついてエンジンルームの点検とかオイル交換やらを教えてもらいました。
すごく印象に残っているのが、夏の夕立で大雨が降って、マンホールから水が逆流して噴水になった日、お客さんも全然こなくて給油機の前でMさんとくだらないことしゃべりながら、道路に流れてゆく油が虹色に光りながらどこまでも広がってゆく光景とガソリンのにおい。
今でもスタンドに入るとあの頃のことを思い出したりします。

ちょうどあにきのジープを無免で乗り回してた頃のことで、調子に乗ってバイト先に給油しに行ったら店長にしこたま怒られました。。。



アルバイトナンバー4…テレビ撮影エキストラ

実は高校をやめる前からはじめて劇団ひまわりに一年くらい在籍していた時期があるんだな。
恵比寿のレッスンスタジオまで週2日位通っていて、滑舌とか大好きで定番「ういろう売り」とか「じゅげむじゅげむ」とか「やっほいきゃほいそうらんみょうととんきぽんきなんてんぼうしゃーもーつーれーこーせいだいぐわろんほろんとっぴっぴそんだらもんやののんぜやこきくくけかきこまぁるまるなんたらかんたらのちょうきゅめいのちょうすけ」ってゆう名前の長い男の子が川に落ちて死んじゃうやつとかよく暗記してました。
ほんと今でもういろう売りはかなりのとこまで暗唱できるね。

この頃レッスンで習ったことが後々かなり大きい影響を残したんだけど、当時はそんなこともよくわからず自己表現の仕方に、ものすごく悩んでいたなぁ。
んで、練習生になると必ず経験しなくちゃいけないものの一つにエキストラのお仕事があったんだけど、ひねくれものの僕はエキストラのくせにできるだけテレビに映らないように後ろの方で頭数をそろえるくらいしかしてませんでした。
朝早くから遅刻厳禁の厳しい状況の丸一日缶詰で、確か一日4000〜6000円くらいもらえたかな。
キンキキッズが売れはじめた頃の「人間失格」ってドラマ収録とか、火曜サスペンスとかいくつか現場まわりました。

結構待ち時間長くて退屈した覚えがあるなぁ



アルバイトナンバー5…グリンピア津南 イベントスタッフ

ギターの専門学校に入学した年の秋かなぁ、学校が新潟の山の中にあるもんでバイト自体がなかなか無い時期に学校側で探してきてくれた短期アルバイト。
イベント広場のテントの中でジャムを売るお仕事。
あんまり記憶に残ってないんだけど、当時入学したての頃2日間泊まりがけで行ったので、みんなとうちとけるきっかけになったんじゃなかったっけかなぁ?
普通に声を出すのが恥ずかしくて全然役立たずでござんした。。。



アルバイトナンバー6…ハイウェイガード

これは新潟で免許を取ったあとにようやくはじめた上越市内の登録制ガードマンのお仕事。
学生時代仲間同士で1年半くらい定期的にやってたなぁ。

僕らは主に一般道の現場が多くて、道路をユンボで剥がして水道管やらなんやら埋めてアスファルトを敷きなおすような作業に立ち会ってました。
冬場になると、いくらあったかいかっこうしても一日現場終わったあとは 体が冷え切ってしまうもんで、車に戻ってから飲む温かい缶コーヒーがすんごいうまかったなぁ。

アスファルトを熱してローラーでキレイに平らにならした直後に大雨が降ってきたことがあって、地面に降った雨粒が一気に蒸発してものすごい濃い霧の中に入ったようになったことがあった。
ちょうど夕暮れ時で、オレンジの外灯がキリを染めてすごい幻想的だったなぁ。

それも一年以上やってると、だんだん仕事できるようになるもんで、ほんとは2人で交互通行しなくちゃいけないところを、交通量が少ない時間帯 三方向を一人で交通整理して、交互に30分くらいずつ休憩を回しあったりしてました。
まぁ立ち仕事だから、肉体的には慣れるまで大変だったけど、毎回違う現場に行ってたおかげで、かなり上越近辺の道を覚えました。 ほんと 上越の方が東京よりも詳しいくらいだよ。
このお仕事は結構楽しかったなぁ。。。



アルバイトナンバー7…学生行事 ポスティング 教室呼び込み

僕が入学したギター専門学校では、専門課程を卒業すると先生としての就職の道がある。
その専修科の先生は学校を拠点にして、上越地区を曜日ごとに違う教室に教えに出かける。
直接僕達をレッスンしてくれるわけじゃないんだけど、先輩としていろんなアドバイスをしてくれたり、個人的に遊びに連れて行ってくれる先生もいたりして、兄貴分的な存在だったな。
その専修科の先生が受け持つギター教室ってのは、田舎で数人しか生徒がいないようなところだと、公民館とかを借りて週1〜2回そこに生徒を集めて教えてるんだけど、生徒が多いところではテナントを借りて教室として開校しており、僕達学生も上級生になると授業の一環として生徒を受け持つことになっていたのね。
生徒の数が多い教室では、月一回くらいの割合でサロンコンサートってのをやっていて、無料でクラシックギターのミニ演奏会を開き新規学生の呼び込みなんかもしていた。

僕ら学生は演奏者として参加したり、お手伝いでチラシを配ったりしてました。
ある時 大宮の駅近くで新規教室の開校があって結構大掛かりにキャンペーンしたことがありました。一週間くらい授業そっちのけで働きました。
この時は大宮から2〜3こ先の駅までチラシのポスティングをしに行って、朝から生徒みんな方々に散らばっていってポスティングするんだけど、土地勘のない所を地図にマーキングしながらエリアを埋め尽くして時間になると集合場所に集まって報告。
でそのあと駅前に戻ってチラシ配り。当時はゆずの「夏色」とかが流行っていて、弾き語りしながら人を集め、すかさず全員にチラシを配ったりと、かなりがんばったんだよね。
実はこれが僕のストリート初体験だったりするんだな。
友達同士でワイワイやりながらだったから退屈な授業よりもいいやって感じで結構たのしんでやってました。

とくにアルバイトとしてお金がもらえたわけじゃないんだけども、これは後々いい経験になりましたね。



アルバイトナンバー8・・・学生行事 教室の先生

僕の通った専門学校の隣町に安塚って町があって、最上級生になってからの一年間そこのギター教室で先生してました。
といっても、週に一回、お昼から町の公民館に一部屋借りて、そこに30分ワンレッスンで入れ替わりに生徒さんが来てクラシックギターやフォークギターの個人レッスンをするというもの。
僕が教室を引き継いだ時、生徒は ミスチル好きの中学生と7〜8歳の女の子と、気のいいおばちゃん達 全員で確か7人位しかおらず レッスンの時に「うちで作った野菜だよ〜」なんていって、おばちゃんから差し入れのキュウリやらトマトやらをいただいてました。
僕が教室を受け持ってから、はじめたチラシのポスティングとかで半年後にようやく生徒が一人増え、しかも高校生のかわいい女の子が入学してくれたんだけど、もう一気にレッスン行くのが楽しくなりましたね(^^
Mちゃんっていう娘だったんだけど、何回目かのレッスンの時に弟を一緒に連れてきたことがあって、友達とバンドをやりたいって言って、仲のよい子らと一緒に4人も入学してくれたのね!
Mちゃんの弟のY君は当時中学生くらいだったかな?ようやくバンドレッスンが軌道に乗っかり始めた頃、僕は卒業を迎えて後輩に安塚町を引き次いでもらったんだけど、
ついこないだ奇跡的な再会がありました。
僕が三叉路結成以前にやってたパンクバンドBEBOP(ビバップ)は現在も健在で、こないだライブのお誘いがあって遊びに行ってきたんだけど、その日のタイバンがY君達だったんだよね!!
僕が卒業した後、安塚を引き継いだ後輩と一緒にその後も上越市でライブ活動を続けていたらしく、最近上京してきたんだってさ!!!
超びっくりしたけど、すごいうれしかったなぁ。。。



アルバイトナンバー9…学生行事 音響

僕の先輩に元音響のどプロで武道館やら東京ドームやらでお仕事していた経験のある 込山さんって方がいました。江戸っ子で曲がったことが大嫌いで すごく人情に篤い方なんですね。

コラムでも書いたけど、専門学校に入学してからトラブルを起こした僕は、一年近く退寮処分をくらって専修科の先生の寮から通学していたんだけど、その一年間と言うのが本当に心を開ける友達ってのがいなかったんだ。
うわべだけで何とか付き合って、極力 人との関わりを避けていた僕に込山さんはちょくちょく声をかけてくれたのね。
僕の通う学校は、上越市から一時間くらい車を走らせた山の中にあって、コンビニも山を降りないとないし、ちょっと気分転換に市内まで買い物に行きたくても、車がないとなかなかでかけられなかったんですが、当時16〜17歳だった僕は意地をはってチャリンコで上越までよくでかけていました。
そんな僕をみて気を使ってくれたのか、込山さんはよく学生寮の朝ご飯とかの買いだしに僕を誘ってくれるようになって親身になって話かけてくれ、徐々に他の学生達との輪を広げていってくれた僕の恩人なんですね。
毎年学園祭の時期が来るとPA(音響)の指揮をとるのが込山さんで、面倒を見てもらっていた僕はよく、一緒に音響のお手伝いをしてました。
ライブに必要な機材で学校に足りない物をレンタルする所から、機材設営 本番までいろいろ教えてもらい、ミキサーの操作ができるまで仕込んでくれました。
今 三叉路で全国フリーライブしてまわっている中で、機材の持込しなくちゃいけない会場だとか、設営からオペレーションまで自分達でやらなくちゃいけないところってのが結構多くて、三叉路プロデューサーのK氏と一緒に音響設営、撤去するんですけど、それもみんなPAの基本を込山さんに教わったおかげだったりします。
僕のまだ短い人生の中で師匠と仰ぐ人が何人かいるんですが、込山さんもその一人で本当に感謝している恩人ですね。



アルバイトナンバー10…レストランバレーナ

石打円山スキー場 山頂レストラン BALENAのホールのお仕事。
11月終わりごろのオープニングスタッフで入り、住み込みで働いていたからマネージャー含め全員 すっごく仲良くなった。
初日はお店のお掃除から、オペレーションの研修をして翌日開店。
スキー場のレストランってーと高くって不味くって量が少ないとこが多いけれども、バレーナは本格的なイタリアンを提供していて、週末の昼時ピークはマジで90分待ち位の長蛇の列ができた。
僕は子供の頃から好き嫌いが激しくて、スパルタのノリで無理やり食べさせられたことがあったので、ある意味トラウマがあって、食べるって行為がすごく苦手だった。
もちろんハラが減れば食べるし、味覚異常とかもないからうまい物はうまいと感じるんだけど、なんか精神的にずっと抵抗感があったんだよね
それが、物心ついてから初めて料理がうまいと心から感じたのが、このバレーナでの初日のまかないだったんだ。
当時20歳だから、かなり遅いんだけど本当に衝撃的な「食」との出会いだったなぁ。

バレーナの一日は朝6時にマネージャーと朝食当番が起きて朝ご飯の支度をし、全員6時半起床の朝食後、雪かきをして 9時に開店…だったような気がする。
僕は雪かきが大好きだったから、夜中に大雪が降った日は犬コロのようにはしゃいで雪かきをしていた。
当時のメンバーもみんな気のいい連中ばっかで、本当に楽しかったなぁ。
夕方の6時をもってレストランは閉店し、翌日の仕込みと夕食の準備にとりかかる。
午後が暇な日なんかは営業中にさっさと仕込んで閉店と同時に夕食を食べると、いよいよお楽しみのナイター。
みんなスノーボードはいて飛び出していってリフトが止まるまで遊んでいた。

今までの仕事の中でも、このアルバイトが一番楽しかったなぁ



アルバイトナンバー11…撮影特殊機材

東京に帰ってきて最初にやったバイト。
とにかく金がなくて、きつくても給料のいいバイトを探していたらこのお仕事を見つけた。
日当確か3万くらい!
会社も八王子にあって地元から近いし、テレビやビデオ系の撮影に関わる特殊機材を扱うという、情報誌の見出しにも好奇心があった。

初日の集合時間は朝の4時。
八王子の倉庫から機材をトラックに積み込むところからはじまった。
朝の弱い僕はギリギリで飛び込みセーフ。即効で重いトラスやらパイプやら機材の入ったケースやらケーブル類を搬出。
中央自動車道を一路東京に向かうと、ちょうど東京湾の方からオレンジの日の出が登ってくるところが見えてスゲーいい気分。
埠頭の廃墟みたいなところが実はプロモーションビデオなんかの撮影によく使われているところで、そこで確か織田哲郎さんのプロモ撮影に立ち会いました。
床にレールを敷いて移動車にカメラを載せて被写体を中心に回転しながら撮影。僕は主にケーブルを邪魔にならないようにさばいてました。
そっから都内を3箇所くらい場所を変えて撮影。
ADさんにしょっちゅう蹴りが飛んでいて、仕事自体はたいしたことしてないんだけど、えらい緊張疲れしました。

夜になって、別働隊が六本木で「Dir en grey」のライブ撮影していて、それの撤収に合流。
キリンみたいな クレーンのさきっちょにカメラがついている特殊機材を解体搬出し、倉庫にもどって荷下ろし終わったのが夜の2時頃。
翌朝も同じく4時に集合で今度は大井競馬場やらなんやらかんやら夜中まで・・・
さすがに三日目に遅刻をして首をきられました。。。

その時にいわれた言葉は今もしっかり覚えていて、「一現場に億の金がかかっている場所だってある。いるはずの人間が足りないために仕事にならなくなったら、お前は弁償できるのか!!」って…

この業界の怖さを垣間見たお仕事でした。。。



アルバイトナンバー12…キャバクラ

パブとかスナックとかキャバクラやらクラブの区別がいまだに良くわからないんだけど
夜の水商売に非常に興味があって、某五反田有楽街のうらぶれたキャバクラでホールをやってみました。

飲食店の集合したビルが密集していて、とにかくゴキブリがすごかった
4時に出勤して5階にあるお店の自動ドアの鍵を空け、扉を開く所から闘いは始まる。
入り口脇の電気のスイッチを入れた途端、黒い影が床からソファーから天井からざざざざざざぁ〜〜っとまっくろくろすけのように壁の隙間に吸い込まれてゆくの!
ほんとに大げさな表現じゃなくて、週一回のバルサンの翌日は正体をあらわしたくろすけの残骸が足の踏み場もないほど転がっている。
主に小型のチャバ系が多かったんだけど、大型の奴なんかは抗体ができているのか、それでもまだ生きていて、くろすけさんの生命力の強さに驚嘆致しました。

お仕事はお掃除からはじまり、掃除機をかけた後 パントリーに入ってお客さん用のウーロンのコップを、トレーに並べて一気にじゃばじゃばと注ぐ。上からおしぼりをかぶせた上に、トレーを3段くらい重ねてウーロンをスタンバイ!
酒の買出しやアイスの補充をしたら食事の時間。くろすけだらけのキッチンで、スプレーにまみれた食材を胃に入れてると思うとげっそりするけどしょうがない。。。
6時過ぎに女の子たちがご出勤。暇な日は通りに出てティッシュ配りをする。
お客さんがにぎわいだすと一番忙しくなるのが氷の交換で、丸い銀のトレーにアイスを4セットも乗っけると結構な重さになる。
勉強になったのは、ホールを常に見渡しお客さんや女の子の動きをよく見るということ。
氷を交換に行くときも通るルート上のテーブルをチェックして足りないものや女の子の合図とかを確認する。
閉店後はまた掃除機をかけてゴミ出しをして女の子を車で送っていったりして、またげっそりな食事をして解散。
ある時熱が40℃出て寝込んだことがあった。ベッドで天井見てるとぐるぐる回って気持ち悪い。休もうと思えば休めるんだけど、当時はカノジョの寮に内緒で同棲していて引越し資金をためていた。少しでも給料を減らしたくなくて、カノジョにウィだーインゼリーを買ってきてもらい ユンケルと一緒に無理やり飲んで気合で仕事に行った。
結局10時くらいまでねばったのだけど製氷機の冷機だけで吐き気がしてきてタクシーで帰らされました。それでも根性が認められて給料は減らされなかったのはうれしかったな。

そんなこんなで3ヶ月間がんばって、晴れて堂々とカノジョと同棲生活をはじめたんだな。。。



アルバイトナンバー13…ワインバーセレクション

原宿から10分くらい千駄ヶ谷小学校の脇にあったワインバーで、今はもう別のお店に変わってしまった。
当時同棲していたマンションの玄関開けたら30秒でお店な感じで、遅刻知らずのバイトでした。
戦前からあるというツタの絡まった木造の家で、隠れ家にぴったりのおしゃれなイタリア系ワインバー。常連客もデザイナーやらアパレル関係の人が多く、中にはやれそれの社長さんがお忍びでデートにきたりもしてた。
ミュージシャンではイマワノ清志郎さんと、マスターがお友達でたまにワインを飲みに来ていました。
ここも料理のおいしいお店で、自然食に凝ってるマスターからワインはもちろん、食材を活かした料理のことや珈琲の淹れ方など勉強させてもらいました。
そういえば以前日記に書いた、「コントレックス」もここで初めて飲んではまっちゃったんだな。当時はなかなか流通していなくて、ちょっとレアなお水でした。

僕はそれまでワインをあまり飲まなかったんだけど、セレクションでたくさんのイタリアワインと出会い、ビールを抜いて一気にワイン好きになっちゃいました。
まぁ、現在は経済的にワインを飲めるほど裕福じゃないのでもっぱらビール派ですけれども…

ここでのお仕事はウェイター。
2階も含めて30席くらいしかない小さなお店で通常マスターとの二人勤務だから、忙しいときは本当にコマネズミになっちゃうんだけど、キャバクラと違って気品をもってお仕事にあたれたので、くろすけとの格闘の日々を思うとすごくリフレッシュして働けました。
ここで学んだのは、サービス自体が料理を引きたてお酒をおいしくするということ。
元々バーテンダーだったマスターの、お客さんへの気遣いなんかもさりげない上品さがあって、サービス業の奥深さと空気感を学ばせてもらいました。

セレクションではアーティストの作品展示をしていて、絵はもちろん写真や陶器やガラス細工のランプなどの個展を毎月やっていた。古い家独特の空気と個性あふれる作品がお店の雰囲気を常に飽きさせない。2階にはグランドピアノがおいてあり、毎週金曜だったかな?ピアニストの方がジャズを弾きにくる。不定期でいろんなミュージシャンがライブすることもあり、実はこの頃結成したばかりの三叉路も一度お店でライブをさせてもらいました。



アルバイトナンバー14…そば居酒屋 そば兆

セレクションのマスターが若いときにお世話になった人が有明ビックサイトのすぐそばにそば居酒屋を開店。
人が足りないということで最初はお手伝いで何日か入ったのがきっかけで、ちょうど原宿を引き払い実家に戻る事が決まったのをタイミングに正式にアルバイトに採用されました。
自給1,000円で交通費全額負担の割のいいお仕事。。。と思ったんだけど、お台場まで片道2時間かけて毎日通っていると他の事が何もできなくなってきて、仕事も人間関係も良かったんだけど過酷な環境でしたね。
それでもここでは1年くらい働かせてもらいました。

最初はウェイターとして入ったんだけど、ビックサイトで大きいイベントがあるとほんとに人があふれてしまい収集がつかなくなる。いつのまにかキッチンに入り、僕が包丁デビューしたのがこのお店です。
基本のそばメニューからちょっと手の込んだ居酒屋メニューまで、料理の数が多くてとても覚え切れないので、初めはこまごまとノートにレシピを書いて一生懸命覚えました。
この時常時キッチンにいた安里さんって方が僕に料理を教えてくれたんだけど、良い料理人ですごくお世話になりました。
ここの日課で、出勤するとすぐに寸胴にダシをたっぷりいれて火にかける。フライヤーの電源を入れて温度が上がるまでの間にかきあげの仕込をする。
そば兆の店長直伝のかきあげはめちゃくちゃうまくて定評があるんだけど、それをランチタイムに出そうな数だけつくるとちょうど寸胴が沸騰した頃になる。
かえしを寸胴に入れてそばの汁をつくり、朝一番の仕込みで作ったまかないのかきあげそばを食う。これがめちゃくちゃうまいんだな!。

僕は魚って奴がどうも苦手で、今でも臭みのない焼き魚とか鮮度の良い刺身くらいしか食べないんだけど、魚をさばくのは好きになった。
店長と安里さんの指導の元、鰯からはじめてさわら、カンパチくらいまでは下手ながら三枚におろせるようになりました。
必然的にまかないで食べる機会も増えるため、お魚さんに親しんだのもそば兆のおかげっすね。

そんなこんなを朝10時から夜11時までフルで入り、ホールからキッチンまでこなし、
帰ると深夜1時を回っていて風呂に入ったりくつろいだりするともう3時回っている。翌朝も7時頃には家を出発しなくてはいけないし、ほんとがんばった一年だったな。

辞めてから何年か経ったある時、ビックサイトに展示会を見に行った。
国際展示場の駅を下りると、ビルに囲まれた都会から一気に解放されたように高い空が広がっている。
全然変わっていない風景に懐かしさがこみ上げてきて、「あの頃はきつかったけどすごく楽しかったなぁ。俺がんばったなぁ」と自分をほめてあげちゃいました。



アルバイトナンバー15…ユ○ティー 

さぁ、もうこのあたりからだんだん時間軸が解らなくなって来てごちゃごちゃになってしまうんだけど、これは新宿に事務所のある登録制の日雇いバイトですね。
原宿に住んでいた時から登録していたと思うんだけど、たまーに暇をみて一日だけ出勤したりとかしてたんじゃなかったかなぁ?
音楽系の人が多くていろいろ刺激があっておもしろかったんだけど、システムが面倒で長期間登録してた割りにあんまりやらなかった。スポット的なバイトですね。
出勤シフトを決めるには、働きたい日の前日 6時までにに確認の電話をして、当日の集合時間や持ち物の確認をする。さらに当日朝一番にも出勤確認の電話をしないといけない。。。だとか、
自宅から新宿までは一時間かかるんだけど、集合時間に間に合わないといけないので、絶対に電車に乗る前にも電話を一本いれなくちゃいけない。。。
これを忘れると当日欠勤扱いになって、事務所に行ってもお仕事させてもらえないこともあるんだわ。
もう電話電話電話でバイトするよりこっちのが疲れちゃうの…

内容は主に力仕事が中心で、デパートの季節イベントの入れ替え作業で陳列棚やらガラスやらを総入れ替えしたり、幕張なんかのイベント会場でブースを解体撤去とかが多かったな。
一度泊まりがけで伊豆の伊東でイベント会場 撤去をしたことがあって、
お互い顔もよく知らない同士で相部屋で寝るんだけど、全身に墨が入った人がいたかと思えば、青っ白い顔したもやしっ子みたいなのまで様々な人たちが一緒くたになって風呂に入ったりする。
いろんな人と知り合えるからこれはこれでおもろかったけど、今となってはめんどくさくて積極的にやりたくはないアルバイトっすね。





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