三叉路初ライブ


その頃僕はヒモのような暮らしをしており、原宿駅と千駄ヶ谷の間でどっちにも10分くらいで出かけられる超便利な所に住んでいた。
まあひもとはいえ、なんかしてないと気がすまないタチなので週3日〜4日くらい目の前にあったワインバーSelectionでウェイターをやってたんだけど、生活の重要な稼ぎはほとんど彼女にゆだねておりました。(カノジョアリガト)

当時 三叉路の練習のほとんどは僕の部屋に集まって三人でジャカジャカかき鳴らしてたんだけど、夜のお勤めのカノジョが寝ている隣の部屋で、昼間から大声で歌い散らしてんだから、そりゃよく怒られました。。。(カノジョゴメン)

さてさてさんさろ最初に何をやろうかってことで、それぞれの楽曲を持ち寄ってまずはお互いの曲をカバーしながらレパートリーを増やそうということになり、三人 ギターを持ち寄ったんですが・・・。
三叉路の 最初の壁は、ギターが3人もいるということ。。。
当時はサムエルが流行っていた時期だし、普通は3人もギターがいたら誰か一人くらい 「じゃあ俺ベースやるよ」 って言う 謙虚な奴がいたりとか、逆に気の弱い奴が 「お前ベースやれよ」 って わがままなボスクラスの奴に
押し付けられたりして楽器のパート分けされてゆくんだろうけど、僕らは三人とも 「じゃあ俺ギターやるから!」 としか言わなかったし、ベースがどうのこうの言い出したら言いだしっぺがやらされる雰囲気があったりもして、三人とも前向きに3本のギターでのアレンジを考えはじめたのでした。

このアレンジで力を発揮したのがかわやんで、生来の音感の良さと長渕完コピの実力は僕もまっちゃんも口をはさむ隙が無く、 というかアレンジには二人とも興味が無かったので、実質上 川田先生にお・ま・か・せ・状態

だいたいアベレージ30%くらいの確立で目やにか寝癖がついてるくせになかなかやるじゃん・・・なんて思ったりしたのを覚えている。

結成したての頃は、あまりかわやんと二人でしゃべっている記憶が無くて、打ち解けて話すようになったのはそれから3年くらいたってからのことでした。。。

付き合いだすといいやつで、なんていうのか、的外れな天然系ってのかな?
もともと笑いのつぼというやつを心得ていて、根はすごくまじめだったのに、まっちゃんとの出会いで笑いの花が開花してしまい、最近では 松井をどう笑わせるかというのをギター以上に真剣に取り組んでたりしてます。
なんというのか普段無口な分、いいタイミングでツッコミいれたりボケたりするのですげーおもしろいんだな。


ようやくレパートリーが6曲くらいたまってきて、早くバンドらしい活動を開始したいこともあり、とりあえず最初のライブをまっちゃんとかわやんが出会ったライブハウス 渋谷アピアでやることに決定。

三人のコラボユニットだからそれぞれ個性ある衣装で演奏しようよってことになって、当日みんなご自慢の格好で集まったんだけど、、、ひどかった。。。

「空」の服にはまっていた僕はビラビラした宗教ちっくな服にどくろのネックレスで虎柄のパンツっっていう奇天烈な格好&。
かわやんはテンガロンハットをかぶり、カントリー系の袖の下がひらひらしたご自慢ジャケットにブーツカットのジーンズと、まさにカントリーブーツ。
まっちゃんは下駄にジャージと「夢」とプリントされた紺色のTシャツでいいだしっぺのくせに普段着のまま。

レパートリーは まっちゃんの曲で「僕の胸に」「二人の恋のお話しに」かわやんから「旅に出よう」「ドライブ」僕の「今年最後のトンボの歌」「Wisper」あたりを演奏した気がする。
まぁ、、格好もさることながら演奏もひどかった記憶がありますが・・・
インパクトだけはその日の出演者の中でも一番輝いていたんじゃないでしょうか?

さていよいよ演奏開始!
一曲目はまっちゃんの「僕の胸に」って曲をやったんだけど、この曲アピアでしかライブでやらなかったなぁ。
それも理由があって イントロから僕が尺八を吹いちゃうんですよ。マジで・・・
曲中もオブリガード(音楽用語で主旋律とは別のメロディーみたいなもの)で吹きはじめたと思った途端、コーラスに切り替わったりと結構忙しいアレンジ。
音の出にくいキーで演奏したもんだから、えらい苦労したなぁ。

そうそう、なんで尺八吹けるのかってーと、新潟で学生時代にちゃんとお師匠さんについて2年位習っていたことがあって、上越の演奏会とかにも出たことがあるんです。
こんな僕に礼儀作法を教えてくれたのもお師匠さんでした。


そして特筆すべきはこの僕のコーラスワーク!
はい!最初に言い訳けさせてくださいね。
もともとパンクロックで歌はメロディーじゃなくて気持ちで歌うもんだと勘違いしていた僕が初めて出会ったハーモニー!
気持ちでハモりましたよ!!
そりゃもう精一杯気持ちを込めて外れてるか合っているかなんて二の次でハモりました。。。が、あとでライブ音源をきいて愕然!
飲み屋でデュエットをかな〜り気持ち悪く歌っているおじさんよりもひどい!
気もち(パンク魂)が入っている分20%増しくらいで!!

そして「混キチ 地獄のハモリスト伝説」がはじまる・・・ 。。。ってかんじ。

もうね。ドロップアウトしちゃってんだけど、ハモリ 無理!!
実は今でもハモリの音感が悪いことを自覚しながら気をつけて歌ってますもの。


そんなこんなから始まったアピアライブ。
結成したのが10月で、確か記憶では11月か12月初旬にノリだけでぶっつけでやったようなライブだったので、内容も「あの頃はひどかったなぁ」って印象しか残って無いんだけど、ステージが二人並んでやっとの所に無理やり三人肩を並べて薄暗い照明の中、陰気なテンションで演奏していた気がします。


そんな三叉路のファースト(地獄)ライブも無事終わり、打ち上げでしこたま飲みながら(当時はもう自己満足するしかこのユニットを存続させてゆくことができなかったので)「いやぁ〜すげーいいライブだったじゃ〜ん」とかいいながら、三叉路の活動は幕をあけたのでした。





・・・実はこのアピアライブとその3ヵ月後くらいにやった池袋Admのライブは三叉路史上 超レア楽器ライブで、アピアでは僕が尺八を吹き、Admではかわやんがバイオリンを弾きました。

どっちも聞き苦しいことこの上なく、偶然その場に居合わせてしまった
他バンドのお客さんにはこの場で謝罪させていただきます。ごめんなちゃい。。。




                     →またそのうち続く?

060902xxx

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